寺山修司と「地蔵和讃」
寺山修司は歌集「田園に死す」の冒頭で、“わが一家の歴史「恐山和讃」”として地蔵和讃を引用しており、作品全体のモチーフともなっている。
以下、引用
これはこの世のことならず、死出の山路のすそ野なる、さいの河原の物語、十にも足らぬ幼な児が、さいの河原に集まりて、峰の嵐の音すれば、父かと思ひよぢのぼり、谷の流れをきくときは、母かと思ひはせ下り、手足は血潮に染みながら、川原の石をとり集め、これにて回向の塔をつむ、一つつんでは父のため、二つつんでは母のため、兄弟わが身を回向して、昼はひとりで遊べども、日も入りあひのその頃に、地獄の鬼があらはれて、つみたる塔をおしくづす…
注)地蔵和讃は各地に何種類か存在し、それぞれ微妙に歌詞も違っている。
「賽の河原」は現世とあの世を隔てる三途の川の河原にある。ここでは、親よりも先に死ぬという親不孝の大罪を犯した子供たちが罪を償うために「石積みの刑」を受けている。
子供たちは回向の塔を建てるべく、手足に血を滲ませながら石を積み上げていくのだが、完成間近になると河原にいる鬼に無情にも塔を壊されてしまう。これが永遠と繰り返されるのだが、最後には地蔵菩薩が来て救いの手を差し伸べてくれるという。
また、賽の河原の由来となった場所は日本各地に実在している。代表的なものでは、新潟県佐渡ヶ島や鳥取県大山にある「賽の河原」(観光名所としても人気で地蔵菩薩や積みあがった石が見られる)のほか、京都の鴨川と桂川の合流地点である「佐比の河原」、青森県五所川原市の「川倉賽の河原」などがある。
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