私の読書日記「魚味求真」
副題に「魚は香りだ」と題されたこのエッセイは、浅草「紀文寿司」四代目、故・関谷文吉氏によって書かれたが、氏の食に対する深い知識や味談義には定評があり、同業者からも一目置かれる存在であったらしい。
例えば、こんな記載がある。
「漂ってくるコーヒーの匂いと口中で生じる匂いはまったく違って感じられ、後者をフレーバー(風味)とよんで」いる。「このフレーバーが食べ物の味の骨格を最終的に判断する要素」だと著者は考え、「私たちを食の快楽へと誘う哲学は、香りに対する意識(本能的な香りの刷り込みによるもの)ではないか」と結んでいる。
また、「栄螺の壺焼」の匂いが漂ってくると「脳裏にはいつも磯の潮のざわめきや息吹が聞こえ」「いつのまにか、ふと、海辺にいる錯覚にとらわれている自分に気がつく」ことがあるように、著者にとって香り(さまざまな匂いを含んで想起されるそのときの雰囲気)は、時空間にゆらぎを与え、はるかな昔の記憶をよび起こしてもくれる。
解説を手掛けたカラペティバトゥバ・オーナーソムリエの長 雄一氏も言う通り、読み進めるに従い「五感が刺激されて食欲が湧き、実際にその魚を食べているような錯覚に陥る」美味しいエッセイである。
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