童謡「シャボン玉」に秘められた思い



作詞:野口 雨情 作曲:中山 晋平 

歌:平原綾香


童謡としては1923年(大正12年)に中山晋平の譜面集「童謡小曲」に発表されたが、 詩自体が最初に発表されたのは1922年(大正11年)のことで、 仏教児童雑誌『金の塔』に掲載された。



歌詞

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ



長女の死

この曲が生まれた時代は、現在からすれば衛生面・栄養面共に劣悪で、産まれてすぐに命が絶えてしまうこともそれ程珍しいことではなかったようだ。

明治41年3月に、作詞者・野口雨情の長女みどりが生後7日目で亡くなった。

雨情はある時、シャボン玉遊びをしている子供たちを見て、亡くなった長女が無事に成長したら同じくらいの年頃だろうと思いながら歌詞を書いたという。


親戚の男の子の死

また、この歌詞が出来上がる少し前に、雨情が親戚の男の子が生まれたばかりで無くなった知らせを聞いたことから、「生まれてすぐに壊れて消えた」はこの男の子の死を指しているのではないかという説もある。


四女の死

七五三詣は、女児が3歳になると神様に感謝を伝えにお参りするものだが、この曲が完成した後、雨情の四女が2歳で亡くなっている。
3歳まで生き延びるのが最初の目標だった時代に、あと少しのところで命が尽きた四女へ思いは如何ばかりだったろう。


亡児への鎮魂歌の説

産まれてきた子供が三歳を迎えるのも大変であった時代に、浮かばれない魂が成仏できるようにという気持ちを込めた亡児への鎮魂歌だという説もあって、この曲が仏教関連の児童雑誌『金の塔』に発表されたというのも首肯ける。

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