私の読書日記「西行と清盛」


ねがはくは花のしたにて春死なむ 

そのきさらぎの望月のころ 


ご存知の通り、西行の辞世の歌である。
西行という名は「西方の彼岸(死地)へ行く」という意味があり、実際、73歳で死ぬ迄に多くの友人知己の死を看取ってきた死の案内人でもあった。

西行は、元々鳥羽上皇の警固を担う北面の武士であったが、出家して放浪の歌人となった後も清盛や鳥羽上皇、崇徳院らと関わりを持ち続け、むしろ政治の表舞台に取り込まれていった感がある。

著者である嵐山光三郎氏によれば、一旦は出家して武士であることから「逃げた」ものの、放浪僧に化身した歌人である西行の底には武士の意地が流れていた(から逃れ切れなかった)のだという。


ただ、西行に限らず、無常に触発され遁世※を遂げたとされる鴨長明や吉田兼好にも言えることだが、本当の世捨人なら名前も残っていない筈であるが、彼らはむしろ遁世後に俗世で活躍している。
要するに、彼らはそれ迄とは違う形で俗世に関わるようになったと捉えるべきで、俗人でいた頃の肩書や血筋、経済力など全てが出家後にそのまま活かされていることは、現代社会(例えば、役人の天下り)に置き換えてみても容易に理解できることである。

そう考えると、彼らの遁世は渡世の方便というか、時代の流行に乗っかっただけかも知れないと思うのは穿ち過ぎだろうか。


遁世とは、①隠棲して俗世間の煩わしさから離れること。「遁世して庵をむすぶ」。
②俗世間を逃れて仏門に入ること。出家。

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