寺山修司の短歌 105 かわきたる


かわきたる田螺蹴とばしゆく人たち愚痴を主張になし得ぬままに


淡水域に生息する田螺にとって、渇いた状態は死、又は瀕死を意味する。
「蹴飛ばす」は、軽蔑して拒絶する。
「愚痴」は、言っても仕方がないことを言って嘆くこと。
「主張」は、自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。また、その意見や持論。

(まるで渇いた田螺を蹴飛ばして行くように)取るに足りない者やその死を軽蔑し拒絶するような人たちは、言っても仕方がない愚痴を言って嘆くばかりで、自分の意見や持論を展開することはないのだ。

by 寺山修司(てらやま しゅうじ)  

青森県出身の歌人、劇作家   
演劇実験室「天井桟敷」主宰   
言葉の錬金術師、昭和の啄木などの異名を持つ

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